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春過ぎ/衣ほす 持統天皇

1 通釈

春過ぎて 夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山

→春が過ぎていつの間にか夏がやってきてしまったようだ。夏が来ると白い衣を干すという天の香具山に白い衣が干してあるよ。

2 女帝と呼ばれた皇女

持統天皇(645年~703年、第41代天皇)は天智天皇の娘で、藤原京を築いた女帝。

女帝というと、イギリスの女王のイメージが私の中ではものすごく強いですが、持統天皇も旦那様である天武天皇が亡くなって4年後に天皇に即位されています。

自分がなんとかしなくては!という頑張ってしまう感じ、国の母になろうとしていたんでしょうね。

天の香具山は、藤原京からも近い天から降りてきたと言われている神聖な山。

古事記に登場する神様がたくさんお祀りされています。

夏になると、衣更えで白い着物を洗い、緑の濃くなった香具山に干すコントラストが見事だったのでしょう。

国の母として奮闘していた持統天皇、ふと天の香具山をあおぎ見ると、その風景に目を奪われたのです。

父や夫の時代は争いが絶えなかったけれど、ようやくこの国は平和が訪れたようです。

58歳で亡くなるまで、持統天皇は万葉集を代表とする万葉の歌を盛り上げてひとつの時代を築きました。

3 3字決まり

「は」で始まるうたは4首。そのうち「春」がつくのは67番目の「春の~」周防内侍(すおうのないし)のうただけです。

4 覚え方

ころもほす はるすぎた

参考文献 三省堂 新明解古典シリーズ 百人一首

秋の田の/わが衣 天智天皇

1 通釈

秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露に濡れつつ

→直訳すると、秋の田んぼにある 刈り取った稲穂を見張る小屋にいると、

かやでふいた屋根が粗末で網目が荒いので、わたしの着物のそでは涙と夜露にずっと濡れ続けることであるよ

2 大化の改新の功労者!

時代は平安時代。中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と呼ばれたころは、血気盛んで、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)とともに曽我氏(そがし)を討って大化の改新をやり遂げた、天智天皇。

曽我氏からはうとまれた存在でしたが、多くの人々にとってはすごいことをやってのけたスーパーヒーローでした。

そんなヒーローだから、農民の気持ちにも寄り添うやさしいイメージがついていました。

それがこの歌です。

今でこそ稲刈りは重労働。当時はもちろんコンバインなどなかった時代。

農民は天候の予測もできないし、食べることさえままならないこともあったでしょう。

やっとの思いで稲を収穫し、それを天日に干して食べられるようになるのです。

その稲を見張る小屋が、穴だらけ。ああ、なんてことでしょう!

つらい気持ちで涙があふれて着物のそではしっとり濡れて、おまけに夜露が降ってきてびしょびしょです。

このつらさは天皇さまは知らないでしょうね。いやいや、知っていますとも。農民の味方でいますとも。そんな感じでしょうか。

3 三字決まり

競技かるたでは、この歌は三字決まりに分類されます。

上の句 秋のまで出てくると、下の句 わが衣がわかる、判断できるということです。

三字決まりは全部で37首あり、二字決まり42首に次ぐ多さです。

楽しく、風景を思い浮かべながら覚えていきたいですね。

「あ」で始まるうたは全部で17首。そのうち「秋」がつくのは79番目の秋風に~の左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ)のうただけです。

4 覚え方 

つゆぬれ あきのた

間違いやすい札ナンバーワンなので、気を付けましょう!

百人一首のなりたちとは

1 誰が作ったのか

藤原定家(ふじわらのさだいえ) 1162年生まれ。1241年(79歳)没。 が、74歳の時、宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)に依頼されて選定作業に入りました。

定家と頼綱は同じ一族であり、頼綱の別荘のふすまに貼る色紙を作るように依頼されたわけです。

色紙とは有名人のサインなどを記す、あの紙のことです。

定家は、それまでに天皇の命をうけて和歌集を作っていたので、頼綱もたのもしく思っていたにちがいありません。

頼綱は10歳年下でしたが、宇都宮歌壇といわれる和歌を詠む会の代表でした。

そういった環境のなかで、定家は『百人秀歌』をベースにしておよそ百首選んでいきました。

2 百人秀歌(ひゃくにんしゅうか)とは

藤原定家が選定した101人101首の和歌集。『二四代集(にしだいしゅう)』からひとり一首を選んだものです。

この百人秀歌が百人一首と重複する歌が多いことから、百人一首のベースとなったのではと言われています。

百人一首との違いとは

作られた時代背景がかなり影響していると思われる、百人一首には外された3首をあげておきます。

一条皇后の歌

  よもすがら 契りしことを忘れずは こひん涙の色ぞゆかしき

権中納言国信の歌

  春日野の 下萌えわたる草の上に つれなく見ゆる春の淡雪

権中納言長方の歌

  紀の国の 由良の岬に拾ふてふ たまさかにだに逢ひ見てしがな

自分のお仕えする上司が代われば、それにともなって歌の選定も変わる。

今も昔も心遣いは日本人ならではな感じですね。

まとめ

以上の過程を経て、百人一首は選定されました。選ばれた歌は、古いものから新しいものまでおよそ600年の時間差があります。

こういったことから、定家ひとりが選定したわけではないことが想像できます。

おそらく、定家の意思を受け継いだ人たちがながい時間をかけて選んで作っていったのだと思います。

参考文献・資料 三省堂 新明解古典シリーズ 百人一首

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