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天つ風/をとめの 僧正遍昭

1 通釈 

天つ風雲の通ひ路吹き閉ちよ をとめの姿しばしとどめむ

→空を吹く風よ 雲の切れ目にあるという天と地をむすぶ天女が通る道を吹きとじておくれ 五節の舞姫たちの姿をもうすこしこの場にとどめておきたいのだ

2 人生は仁明天皇とともに

作者の僧正遍昭(そうじょうへんじょう)は出家前の名前を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といいます。816年生まれで890年に74歳で亡くなっています。

桓武天皇の孫になります。桓武天皇は平城京から長岡京、平安京に都を遷都、つまり大規模に都市の引っ越しを実行した天皇なので、時代としては落ち着かない時代だったと思われます。

現代にあてはめると、政治の中心地まるごと地方にお引越しですから、それは大胆でおおがかりな改革だったことでしょう。

そんな時代に生まれた宗貞は仁明天皇(桓武天皇より4代後の天皇)に認められて出世していきます。

認められて仕事にやりがいも出てきたところで、仁明天皇がお亡くなりになってしまいます。

上司が代われば、対応も変わります。宗貞はついに出家して僧正遍昭となるのです。

うたのなかにある、をとめは乙女。五節の舞姫を指しています。天武天皇(桓武天皇より10代前の天皇)が吉野宮で琴を演奏していた時に、天女が舞いおりて天皇の琴にあわせて5回袖をひるがえして舞ったという故事からきています。

五節の舞は毎年11月の丑の日から辰の日にかけて行われる宮中の儀式、新嘗祭(にいなめさい)で奉納される舞のことです。

かわいらしい天女のような少女たちが可憐に舞う姿をほほえましく見ていた遍昭は、いつまでもこの時間が続くことを望んでいたのでしょう。

僧正遍昭は六歌仙、三十六歌仙の一人です。

3 三字決まり 天つ/をとめ

「あ」で始まるうたで、「天」から始まるうたはこのうたと、7番目のうた「天の原~」https://hyakuninnouta.com/2020/08/31/%e5%a4%a9%e3%81%ae%e5%8e%9f-%e4%b8%89%e7%ac%a0%e3%80%80%e5%ae%89%e5%80%8d%e4%bb%b2%e9%ba%bf/だけです。取り札を並べるときに、自分のほうに二枚ともある時はチャンス!近くに並べて二枚とも払って取りましょう。

4 覚え方

あまつ おとめ

わたの原/人には告げよ 参議篁

1 通釈

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣り舟

→広々とした海のたくさんの島々をめざして舟をこぎだして行ったと、人に伝えておくれ、釣り舟の漁師たちよ

2 奇人と言われた男

参議篁(さんぎたかむら)は小野篁(おののたかむら)とも言われています。802年生まれ、852年没。50歳で亡くなっています。

その人生は波乱万丈そのものでした。少年時代から学問に秀で、遣唐使の副使に選ばれましたが、いざ出航というときになって、自分の上司の藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)ともめ事が勃発!

藤原「こちらの船が壊れたから、そちらの船と交換してもらえないかな」

藤原の上司「別にかまわないでしょう」

篁「そんな!あなたは無事に唐にたどり着けるでしょうけど、わたしはどうなるんです?ほかに船は用意してないんですよ!」

と、言ったかどうかは定かではないですが。こんなやり取りがあったようなのです。

納得のいかない篁は、おなかが痛いです。具合が悪いです。こんな体では長旅は無理です。

ということで嘘をつき、乗船を取りやめてしまったのです。

ばれないわけがありません。嵯峨上皇の耳に入ってしまい、怒り爆発。隠岐の島へ島流しの刑に処されてしまいました。

そのときの篁が詠んだうたが、

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣り舟

なのです。

これからの航海に、自分の愛する家族にあてて詠んだものです。

その後、隠岐の島からほどなくして帰京することができたのですが、それも嵯峨上皇の一声だったらしいです。理由は、素晴らしい漢詩文をまた作ってほしい。

とかく、上司には振り回されてしまったようですね。

また、小野小町のおじいさんだった、という逸話もあります。こちらは小野小町その人が伝説をたくさんもった人なので、定かではありません。

3 六字決まり わたの原八十/人には

一番長い決まり文字6字です。

「わ」から始まるうたは6首ありますが、「わたの原」で始まるのは、このうたと76番目の「わたの原漕ぎ出でて見れば~」の二つです。

「わたのはら」までが同じなのでその次に来る文字で決まります。

「わたのはらや」なのか、「わたのはらこ」、札が近い位置にある場合は二枚払ってとる方法がありますが、離れている場合は並べたときに注意して覚えておく必要があります。

4 覚え方

つりぶね わたのや

これやこの/知るも知らぬも 蝉丸

1 通釈

これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関

→なるほどこれが東国へ旅立っていく人も、それを見送って京へ帰る人も、ここで別れては、また顔見知りの人もそうでない人も、会っては別れ、別れては会うという逢坂の関なのだなあ。

2 初代 琵琶法師

蝉丸(せみまる・せみまろ)は生没年不詳の盲目の僧で琵琶の名手と言われています。逢坂の関のそばに住んでいて、このうたを詠んだことになっています。

現在の場所とされる住所は、滋賀県大津市逢坂。蝉丸神社という神社がそばにあります。神社の鳥居がある場所は石段の階段を上ったところで、本当に峠のようなところです。

こんな山の中にお坊さんだからあえてそこに住んだのか、今では想像できない場所です。

琵琶法師の祖とも言われているようで、かるたの読み札には琵琶を持った絵も見られます。

琵琶法師というと、平家物語の「祇園精舎の鐘~」のイメージがあります。

それと耳なし芳一のお話。平家物語で亡霊に耳を取られたというあの、怪談。

なんだかちょっと怖いイメージがあります。

この逢坂の関で人の行き来する流れを見ていると、関が現在、そこを過ぎると見えてくるのが未来、振り返ってみて見えているのが過去という図式が浮かびます。

人は誰でも幸せを求めて生きていると思います。つらかった過去を捨てて、幸せな未来を手に入れる峠が逢坂の関、なのではないのでしょうか。

3 二字決まり これ/知る

「こ」から始まるうたで、「これ」はこのうただけです。

4 覚え方

これ知る。

これ知る?知らぬ。

そのまんまで覚えやすいですね。

花の色/我が身 小野小町

1 通釈

花の色は移りにけりないたづらに 我が身世にふるながめせし間に

→桜の花の色はすっかり色あせてしまったわ。(わたしの見た目も)日常の騒がしさや恋にまぎれてむなしく暮らして、この降り続く長雨にぼんやり物思いにふけっているあいだに

2 小野一族 NO1の美女

作者小野小町は言わずと知れた世界三大美女の一人です。こう書いてしまうと、この歌が鼻につく感じがしてきてしまうので、不思議です。

おじいさんが小野篁(おののたかむら)と言われていますが、とくにその証拠があるわけではないようです。

まず、小野氏とはどんな一族かといいますと、滋賀県大津市あたりを本拠としていた孝昭天皇(第5代天皇)の流れをくんでいる、つまり、天皇の親戚筋ということになります。

その小野氏のなかで篁は遣唐使の副使に任ぜられたり、文才に優れていた、ようするに頭の回転が速かったために出世していくんです。

そんなすごい人がおじいさんなら孫の小町も歌が上手いだろう、、、となりますよね。

美人で頭も良くて、伝説が生まれないわけがありません。

小野小町は、現在小野とつく場所に生まれたとか、亡くなったとかいう言い伝えがたくさんあります。

歌は、自分の容姿の衰えを嘆いたもの、という見方が強いですが、人の人生ははかないとも取れます。

わたしは、小野小町のこの歌に、やりたいことは今すぐやるべき!時間はあっという間なのよ!と励まされているような気がしています。

3 花はどんな花ですか

平安時代初期までは、花といえば梅の花が一般的でした。桜よりも早く開花する梅の花。白梅や紅梅の丸くほわっとしたつぼみと、開花したときの良い香りが人気でした。それが桜にとって代わるようになるのですが、きっかけとなったのが嵯峨天皇の桜の花見だったと言われています。

天皇のイベントで和歌の世界でも花と言えば「桜」になったのです。

このうたの花の色は桜の花の色、あのピンク色の女性を思い浮かべるようなやわらかな桜の色を指しています。

4 三字決まり 花の/我が身

三字決まりですが、これはうたの内容で覚えやすいと思います。美人薄命のイメージで。

5 覚え方

はなの ながめ

我が庵は/世を 喜撰法師

1 通釈

我が庵は都の辰巳しかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり

→私の草庵は都の辰巳(東南)の方角の鹿が住むようなところにありますが、このように心おだやかに住んでおります。それなのに世の中のみなさんは都を住みづらくなって山(宇治山)に逃げこんだのだろうと言っておられる。

2 仙人になった法師

喜撰法師(きせんほうし)は生没年不詳の人物で、紀氏(きのし)出身の仙人ということで喜撰法師と言われているようです。

紀氏とは、紀伊国(和歌山県あたり)を支配していた豪族の流れの一族です。

喜撰法師は平安時代の嵯峨天皇(さがてんのう)第52代天皇の時代に活躍しました。このころ天候不順で農業は不況、農民は苦しい生活を強いられておりました。のんびりまったり都で生活するのは難しくなっていたわけです。

出家して(俗世間を離れて頭をまるめて)醍醐山(だいごやま)あたりに隠居生活をして仙人になって最後は雲に乗っていなくなってしまったというおとぎ話のような伝説の人物です。

この歌は言葉遊びのような掛詞(かけことば)を使っています。

「しかぞ住む」のしか→動物の鹿と然るべき(このようにという意味あい)のしか

「うぢ山」のうぢ→宇治と憂し(つらいという意味)

テクニックがあるというか、ひとつの言葉にいろいろな思いを託しているというか、ひねりがあるというんでしょうかね。こんな歌のおかげか、本当は紀貫之(きのつらゆき)が喜撰法師なんじゃないか?なんてうわさもあります。

とはいえ、裕福な生活を自ら離れて法師になるということは、それ相応の決意があったのではないでしょうか。

欲から離れることで自分の存在からも離れる、ついには消えてなくなる。すごい生き方だと思います。

3 三字決まり 我が庵/世を

「わが」で始まるうたで、ほかに92番のうた「わが袖」があります。「わがい」「わがそ」三文字まで聞いてから。

4 覚え方

わがいとしのうじやまさん