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ちはやぶる/唐紅 在原業平朝臣

1 通釈

ちはやぶる神代も聞かず龍田川 唐紅に水くくるとは

→神代(かみよ)には不思議なことがいろいろあったそうだが、その神代でさえ聞いたことがない、龍田川が鮮やかな紅色に絞り染めになるとは。

2 モテモテの在原兄弟 弟

奈良県の龍田大社https://tatsutataisha.jpのそばを流れている川が紅葉の葉で紅に染まる光景。どんなに美しいものか、言葉で表現したら、、、

作者の在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)は825年生まれで880年に55歳で亡くなりました。今で言うイケメンだった彼は「伊勢物語」の主人公ではないかと言われています。

「伊勢物語」は在原業平の和歌を引用して書かれた、一人の男の生涯の物語です。

恋愛の短編集のような感じで展開されていくのですが、いろいろな女性との恋を和歌をからめながら描いているのです。

業平がどれだけイケメンだったのか、物語が語っています。

業平には7歳上のお兄さんがいます。前回の歌、たち別れ~の作者の行平です。

真面目で仕事熱心な兄と、自由で情熱的な弟。物語の登場人物としては最高な二人です。

この歌は末次由紀さんの漫画「ちはやふる」https://be-love.jp/c/chihaya/でシンボル的に出てきます。この歌をきっかけに百人一首や競技かるたに興味を持った人は多いでしょう。

唐紅という色は紅色よりもなお濃い紅と言われています。

紅花で染めた色よりも濃いのですから、真っ赤!という色です。

紅花は、古来より染料として使われてきました。口紅の材料にもなっています。

一大産地である山形県では県の花として制定されています。

オレンジ色の可憐な花には鋭いトゲがついていて、栽培農家さんは手袋が必須アイテムです。

バラとはイメージが違いますが、ツンデレなところは共通ですね。

業平が紅花をイメージしてうたったかはわからないところですが、紅葉のはらはらと降り落ちるところを、川の流れに流されていくところを、自分の心の情景として表現したのかもしれません。

百人一首では秋のうたに分類されていますが、実は恋のうたの要素があると思っています。

在原業平は六歌仙のひとりにもなっています。

3 二字決まり ちは/唐紅

「ち」で始まる百人一首はこのうたと、契りおきし~の75番目の藤原基俊(ふじわらのもととし)のうただけなので、二文字で判断できます。

もう、ちはやぶる=唐紅という公式で覚えちゃいましょう。

たち別れ/まつとし 中納言行平

1 通釈

たち別れいなばの山の峰に生ふる まつとしきかば今帰り来む

→今あなたと別れて因幡の国に行ったとしても、稲葉山にはえる松ではないが、あなたが待っていると聞いたならすぐにでも帰ってくるからね

2 在原兄弟 兄

作者の中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)は在原行平(ありわらのゆきひら)といい、818年生まれで893年に75歳で亡くなりました。

父が平城天皇(へいぜいてんのう)の息子で母が桓武天皇の娘、弟に在原業平(ありわらのなりひら)を持つ、天皇の親族です。

在原の姓をもらってからは天皇の臣下に下って、仕事熱心に持ち前のがんばりを発揮して中納言に上りました。

中納言という役職は大納言とほぼ同一と言われているので、現代でいうと、大臣クラスということになります。

そんな行平ですが、38歳の時に因幡に赴任することになります。

因幡は島根県の東部にあたります。

都からはだいぶ距離があります。車などない時代ですから、そうとう覚悟がいったでしょうね。

愛する家族を残してひとり旅立って行く、その場面でこのうたは詠まれました。

あなたを残して遠い因幡の国へ行かなくてはならない。必ず戻ってくるから。わたしを待っていてほしい。心の中では戻ってこれないかもしれない、不安でいっぱいだったことでしょう。

百人一首では、このうただけ離別、別れのうたに分類されています。

3 二字決まり たち/まつ

松の木がたくさん生えているイメージで。

4 覚え方

まつとしき たち

→マットしき たち

君がため/我が 光孝天皇

1 通釈

君がため春の野に出でて若菜摘む 我が衣手に雪は降りつつ

→あなたのために春の野に出て若菜を摘むわたしの袖には 雪が降り続いていることだよ

2 関白制度が作られた

作者の光孝天皇は830年生まれで887年、57歳で亡くなりました。在位はおよそ3年あまりでした。

彼が即位するときに実際の政権をにぎったのは藤原基経(ふじわらのもとつね)でした。基経は光孝天皇が出した政令を発令する、関白という制度の初代というべき人物です。

天皇が幼い、または病弱のため代わりに政治をつかさどるのが摂政にたいして、成人した天皇を補佐するのが関白です。

天皇以外の最高の位が関白で、その歴史は豊臣秀次にまで続きます。

光孝天皇は心穏やかに和歌を詠んでいるようなかただったため、政治にはまるで興味が向かないタイプだったようです。

そのため、藤原一族が政治に対してとても影響を与えるようになってくるのです。

うたにある若菜摘みは宮中の正月の儀式で、最初の子の日に若菜を食べると、災いや、病気からまぬかれるとされていました。

その名残が、七草がゆを食べるということなのです。

古来より人に物をプレゼントするときには、必ずうたを添えること、それが礼儀であったのです。ということで光孝天皇も、大事な人にあげる若菜にうたをそえたのです。

現代でもプレゼントにメッセージをそえるのは普通にやっていることですよね。

どんなかたに贈ったうただったのでしょうね。もらったかたはどんな気持ちになったのでしょう。大事に取っておいて、何度も読み返してはドキドキしていたのではないでしょうか。年の初めからこんなうたをいただいたら、一年良い年になる!と思ったかもしれませんね。

私の住む地域では正月は雪におおわれるので、とても若菜を摘むことはできませんが、新春の行事のことを想像しておかゆを食べてみようかと思います。

3 六字決まり 君がため/わが衣

おなじ「君がため」からはじまるうたがあるため、六字決まりとなっています。

君がため~は

と詠まれたら、この光孝天皇のうたです。

若菜のあわい緑色のイメージで。

4 覚え方

ゆきは きみがため

「わかころもて」はまちがいやすい取り札です。

天智天皇のうたは「つゆ」このうたは「ゆき」

陸奥の/乱れ 河原左大臣

1 通釈

陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにし我ならなくに

→陸奥のしのぶもじずりの(乱れた模様の)ようにわたしのこころは乱れています。それは誰のために? あなた以外の誰にもこころ乱れるわたしではないのですよ

2 10円玉を見てみよう

作者の河原左大臣(かわらのさだいじん)と言われた源融(みなもとのとおる)は822年生まれで895年に74歳で亡くなりました。

父が嵯峨天皇ということで、兄弟姉妹がなんと50人!

それだけ嵯峨天皇が偉大だったということにもなるのですが、これだけお子さんがいれば、食べさせていくのも大変です。

いろいろな政策を打ち出しているのですが、嵯峨天皇は自分の子供たちに臣下に下る政策を出します。つまり、違う苗字を与えて(家族ではなくなって)家来にする、ということです。

その政策で「源」みなもとの姓を与えられた彼は河原左大臣と呼ばれるようになりました。

宇治にある平等院は彼の持ち物です。10円玉の、あの建物です。

私も、京都めぐりで訪れたことがありますが、個人の別荘という見方をしたらすごいですね。土地の広さもさることながら、建物の作りがこまやかで芸術品です。まさにアート!です。

天皇になることが叶わなくても、裕福な生活ができたのですね。

そんな彼がうたった、陸奥の~は、恋のお手本の歌と言われているようです。

こんなに心を乱されて、こんな気持ちになったのは誰のためだろうね?

それは他の誰でもないんだ、君以外のね。

うーん、熱烈です。

3 二字決まり みち/みだれ

みちのくのみだれ、道が乱れる、ジグザグな道。というイメージで。

個人的にはしのぶもじずりの産地であった近くに住んでいるので、大好きなうたです。

4 源氏

源氏の氏族はかなり種類があります。

代表的な方を紹介します。

嵯峨源氏

嵯峨天皇が贈った姓です。ここから始まったとされます。源融はこちら。

清和源氏

清和天皇が贈った姓です。源頼朝(みなもとのよりとも)はこちら。武士として活躍していく氏ですね。

このように、源氏にも天皇の違いでいろいろありまして、21源氏あるそうです。

5 平氏

平氏も天皇が子供に贈った姓です。桓武天皇が息子の葛原親王(くずはらしんのう)の子、つまり孫の高棟王(たかとうおう)に贈ったのが始まりとされています。源氏と平氏、どちらが先に生まれたかと言えば、平氏になります。平氏は4平氏あるそうです。

源氏も平氏ももとをたどれば同じというのが、なんとも言えないところですね。

筑波嶺の/恋ぞ 陽成院

1 通釈

筑波嶺の峰より落つる男女川 恋ぞつもりて淵となりぬる

→筑波山の峰から流れ落ちる男女川と同じように、あなたへの恋心は積もりに積もって深い淵のようになってしまいました。

2 発達障がい?不遇の天皇

作者の陽成院(ようぜいいん)は868年生まれ、949年に81歳で亡くなりました。清和天皇の第一皇子として生まれているのに、天皇としての在位期間はたった8年でした。というのもわずか8歳で天皇に即位し重圧感からか、精神を患ってしまったのです。代わりに政治をつかさどったのは藤原氏、母の兄である関白基経(もとつね)でした。

この時代、藤原氏の権力は絶対的なもので、政治にかかわる役職は藤原氏の息がかかっている者でないとなれない、というとんでもない時代でした。

陽成院も、裏の事情があるのではと想像してしまいます。

何も知らない子どもを天皇に据え置いたら、誰でもおかしくなってしまいますよね。逆に、知識を持った子どもだったから藤原氏が取り上げてしまったのか、とか。

権力とは恐ろしいものです。

筑波嶺とは筑波山のことで、男体山と女体山から成り立っていて、古代はその峰で男女が集まって歌を詠んだり酒を酌み交わしたりする場所だったようです。つまりは、出会いの場ということですね。

男女川(みなしがわ)は水無川とも言い、その名前の由来はよくわかっていません。

水無川とも呼ばれている川は水かさを増して、下流へ行くにしたがって深さも増していきます。

今でも、○○にはまる、という表現がありますが、まさにこのはまり具合が「淵となりぬる」なのです。

気持ちを表現するのに、こんなにストレートなのはすごいですよね。

この歌は、宇多天皇(第59代天皇)の妹にあてられて詠まれたとされています。

3 二字決まり つく/こい

「つ」で始まるうたはこのうたと、23番目の「月見れば~」だけです。

4 覚え方

つくばねの こい

こいぞ つくば