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旅のうた

わたの原/人には告げよ 参議篁

1 通釈

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣り舟

→広々とした海のたくさんの島々をめざして舟をこぎだして行ったと、人に伝えておくれ、釣り舟の漁師たちよ

2 奇人と言われた男

参議篁(さんぎたかむら)は小野篁(おののたかむら)とも言われています。802年生まれ、852年没。50歳で亡くなっています。

その人生は波乱万丈そのものでした。少年時代から学問に秀で、遣唐使の副使に選ばれましたが、いざ出航というときになって、自分の上司の藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)ともめ事が勃発!

藤原「こちらの船が壊れたから、そちらの船と交換してもらえないかな」

藤原の上司「別にかまわないでしょう」

篁「そんな!あなたは無事に唐にたどり着けるでしょうけど、わたしはどうなるんです?ほかに船は用意してないんですよ!」

と、言ったかどうかは定かではないですが。こんなやり取りがあったようなのです。

納得のいかない篁は、おなかが痛いです。具合が悪いです。こんな体では長旅は無理です。

ということで嘘をつき、乗船を取りやめてしまったのです。

ばれないわけがありません。嵯峨上皇の耳に入ってしまい、怒り爆発。隠岐の島へ島流しの刑に処されてしまいました。

そのときの篁が詠んだうたが、

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣り舟

なのです。

これからの航海に、自分の愛する家族にあてて詠んだものです。

その後、隠岐の島からほどなくして帰京することができたのですが、それも嵯峨上皇の一声だったらしいです。理由は、素晴らしい漢詩文をまた作ってほしい。

とかく、上司には振り回されてしまったようですね。

また、小野小町のおじいさんだった、という逸話もあります。こちらは小野小町その人が伝説をたくさんもった人なので、定かではありません。

3 六字決まり わたの原八十/人には

一番長い決まり文字6字です。

「わ」から始まるうたは6首ありますが、「わたの原」で始まるのは、このうたと76番目の「わたの原漕ぎ出でて見れば~」の二つです。

「わたのはら」までが同じなのでその次に来る文字で決まります。

「わたのはらや」なのか、「わたのはらこ」、札が近い位置にある場合は二枚払ってとる方法がありますが、離れている場合は並べたときに注意して覚えておく必要があります。

4 覚え方

つりぶね わたのや

天の原/三笠 安倍仲麿

1 通釈

天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも

→大空を振り仰いではるか遠くを眺めると、月が美しく登っていて、その月は春日にある三笠の山に登ったあの月のかがやきと同じなのだなあ。

2 唐への留学が人生を決定してしまった

安倍仲麿(あべのなかまろ)は698年生まれで770年(73歳)に没。16歳で勉学を認められて、長安に留学を許されます。

遣唐使として選ばれた人たちは、奈良の春日大社で出発前に旅の無事を祈ったそうです。

春日大社といえば朱色の神殿で、鹿がたくさんいる印象深いお社ですね。

その上空に真ん丸なお月様。明るくやさしく仲麿たちを照らしているという画がうかんできます。

この歌は、仲麿が唐の玄宗皇帝に30年お仕えしてようやく日本へ帰国することができるということになり、別れの宴で詠んだといわれる歌です。

30年も海外で過ごすということ、日本と唐の懸け橋として違う国で生きていくこと、容易なことではなかったでしょう。

これから帰る日本、どんなふうになっていることだろう。あの山は、あの月は今も変わらずわたしを迎えてくれるだろうか。いろいろな望郷の気持ちがあふれてきます。

そうして船に乗り込み帰路へ着くのですが、仲麿は暴風にあってしまい、ベトナムへ流されてしまうのです。

命からがら生き延びて、唐へもどり、日本へは二度と戻ることはありませんでした。

3 三字決まり 天の/三笠

物語を知っていればおのずと覚えられますが、あまの→海女のみかさちゃんという女の子をイメージして。

「あ」で始まるうたで、「天」がつくのは他に12番目の「天つ風~」僧正遍昭(そうじょうへんじょう)のうたhttps://hyakuninnouta.com/2020/09/11/%e5%a4%a9%e3%81%a4%e9%a2%a8-%e3%82%92%e3%81%a8%e3%82%81%e3%81%ae%e3%80%80%e5%83%a7%e6%ad%a3%e9%81%8d%e6%98%ad/があります。

4 覚え方

あまのみかさちゃん