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26番~30番

有り明けの/暁 壬生忠岑

1 通釈

有り明けのつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし

→空には有明の月がかかっていた(あなたのそばにもっといたかったけれど、明ければ帰らなければならないという習い)あの時の別れから、暁ほどつらいものはありません。

2 通い婚の習わしが二人を冷たくするのかも

このうたでは、平安時代の通い婚の様子がちらりと見えています。

男性は女性に求婚してOKをもらえると、女性の家にお泊りできる、つまり結婚ということになっていました。

それでも、通いでの夫婦生活なので、明け方太陽がのぼる前には男性は仕事に出かけなければなりませんでした。

今では考えられませんが、宮中に出勤する時間がめちゃめちゃ早かったのです。

そういう理由もあって、男性が帰宅する頃合いは暁のころ、夜が明けそうな時間だったというわけです。

女性だって、つつましい人ばかりではありませんから、いくら大好きな旦那さんでも、面倒くさいな、とかいう時もあったと思います。

それがちょっと態度に出て、つれなく見えることもあったでしょう。

男女の間のことは、デリケートでこんなうたにもなったんですね。

作者の壬生忠岑(みぶのただみね)は三十六歌仙のひとりですが、身分が低いためか、生没年がわかっていません。

41番の「恋すてふ~」の壬生忠見(みぶのただみ)の父で、「古今集」の撰者の一人です。

3 三字決まり

「あ」から始まるうたで、「有」がつくうたは他に58番の「有馬山」があります。「あり」の次の文字で決まるので三字決まりになります。

4 覚え方

あかつきの ありあけ

心あてに/置き 凡河内躬恒

1 通釈

心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花

→初霜で真っ白になってしまった、白菊はどこにあるのか?当てずっぽうで折ってみようか、折れるかもしれないね

2 風流をまとう男

作者の凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)は生没年がはっきりわかっていません。宇多天皇、醍醐天皇の時代に活躍した、三十六歌仙の一人です。

身分が低かったために生没年が正史にないというのは、この時代にはふつうのことのようです。

そんな彼ですが、口から出てくる言葉はすべて、すばらしい歌になった、と言われるほどの風流人だったようです。

白菊が見えないほどに白い初霜、現実にはありえない情景なのですが、そういう表現で白さを強調したことが、風流。

当時の歌の表現に新風を吹かせたのですね。

3 四字決まり 

「心」ではじまるうたが、ほかに68番の「心に」があるので、四字決まりになります。

4 覚え方

こころあしらき→こころは白き

山里は/人目も 源 宗于朝臣

1 通釈

山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば

→山里はもともと寂しいものですが、冬にはいっそうその寂しさがまさりますね。人の行き来もなくなり、草もかれてしまうと思うといつでも。

2 頑張っているアピールはするもの

作者の源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)は光孝天皇の孫の是忠(これただ)親王の子で、源の姓をたまわって臣下に下りました。

上昇志向が強かったのか、まわりがそれを認めていなかったのか、なかなか昇進できなくて、いらいらすることがあったらしいです。その、いらいらがやがて寂しさになり、このうたが詠まれることに。

臣下に下ったことも、本当は認めていなかったのかもしれません。しぶしぶ臣下になったけれど、本当はもっと自分を認めてもらいたかったし、できるんだということを知らしめたかったのかもしれません。

上司の立場からすると、目立つ存在がやはり活躍しているととられるでしょう。

宗于朝臣は都でバリバリ活躍することを目標にしていたんでしょうね。

田舎にいたら出世できない!

という気持ちが表れている気がします。

現代なら、リモートの仕事とかありますから、田舎で仕事をすることにメリットはありますけどね。

なにしろ平安時代。存在を忘れられたら、終わり、なんです。

3 三字決まり

「山」で始まるうたは32番の「山川に」もあり、三字決まりになります。

4 覚え方

ひとめなき やまざと

「ひと」ではじまる下の句、取り札は9枚も!

それぞれの特徴を覚えていきましょう。

みかの/いつ 中納言兼輔

1 通釈

みかの原わきて流るいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ

→みかの原を分けて湧き出て流れる泉川の泉ではないのですが、いつ逢ったというのでしょう?こんなに恋しくおもう気持ちがあふれてくるなんて。(お会いしたことがないのに)

2 どうやら兼輔のうたではないらしい?

このうたは、藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)のものとされて「新古今集」に入れられてしまったようなのです。「古今六帖」に3首ならんでいたうちの、最初のうただけが兼輔のもので、そのあとの2首は詠み人知らずだったらしいのです。その詠み人知らずを採用してしまった、というのが通説になっています。

さて、うたに戻りますが、このうたは恋のうたです。

平安時代の恋のはじまりは、まず、会ったことがない、というのが普通でした。

顔も見たことがない、声も聞いたことがない、その人のうわさだけが先に耳に入るのです。

そのうわさでイメージを膨らませるので、ものすごくディフォルメされていくのです。そのイメージがどれだけ実物と近いか、当たりだったりはずれだったり。

「かぐや姫」なんか、まさにこのイメージ先行です。

そして、この、「みかのはら」「いづみ川」「いつみきとてか」のリズム感。

まるでラップのようですよね。

詠み人知らずでも、覚えやすいので、自然に広まったのではないでしょうか。

3 三字決まり みかの/いつ

「み」から始まるうたで、「みか」はこのうたと、49番の「みかき」のうたです。こちらは「みかの」なので三字決まりになります。

4 覚え方

みかのつみき

小倉山/今 貞信公

1 通釈

小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今一度の行幸待たなむ

→小倉山の峰のもみじよ、もしもお前に物の趣を理解する心があるのなら、もう一度の行幸があるまで(散らずに)待っていてほしい。

2 定家も見ていた紅葉の美しさ

作者の貞信公(ていしんこう)←しごうと呼ばれる死後の名前。本名藤原忠平(ふじわらのただひら)は880年生まれで949年に69歳で亡くなりました。

父が藤原基経(ふじわらのもとつね 初代関白)で兄、藤原時平、仲平と三人で三平と呼ばれていました。

日記「貞信公記」は貴族の生活を記録した、貴重な資料になっています。

宇多天皇が息子の醍醐天皇に譲位して法皇になったときに、小倉山の紅葉にとても感動して、

「この景色のすばらしさを、現天皇(醍醐天皇)にもお見せしてさしあげたい!」

と、忠平が申しあげ、そのついでにこのうたを詠んだとされています。

このことがあった翌日に、醍醐天皇の行幸が早速行われたそうです。

行幸(みゆき)とは、天皇が外出することを言います。

紅葉の時期になりました。わたしの住んでいるところでも、高い山の峰のほうから赤や黄色の木々が目立つようになってきました。

紅葉は日中と夜間の気温差が大きくなるとどんどん進んでいきます。

平安の人々も、景色の移り変わりを今の私たち以上に敏感に感じ取っていました。

同じ景色を見せてあげたい!となったら、一刻も早くという気持ちだったのでしょう。

百人一首の編さんに関わった定家も、小倉山の近くに住んでいたので、同じ景色に賛同していたことでしょう。

3 二字決まり おぐら/いま

「お」から始まるうたで、「おぐ」はこのうただけです。

4 覚え方

おぐらのみゆき