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20番~25番

名にし/人に 三条右大臣

1 通釈

名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな

→逢坂山のさねかずらよ、その名前を持っているならば人に知られないであなたのもとにやってくる手立てがほしいものです。

2 ひ孫の嫁は紫式部

作者の三条右大臣(さんじょうのうだいじん)は本名、藤原定方(ふじわらのさだかた)、873年に生まれ932年に59歳で亡くなりました。

屋敷が三条にあったことから、三条右大臣と呼ばれていました。

定方は会ったことがないと判断できますが、紫式部が後々親族になるという家系になっています。(ひ孫の宣孝が紫式部の夫)

さねかづらは、モクレン科のつる性の低木で、庭木や生垣に利用されています。

きれいな赤い実をつけます。この実は薬効成分を含んでいて咳止めになるそうです。茎の粘液が製紙、びん付け油(男性の整髪料)の原料になるそうです。

そういったことから、”美男かづら”とも言われるそうです。

春夏まっすぐのびていたツルが、秋になると絡み合うという生態から、男女の絡みに例えられるようです。

このさねかづらにうたを結んで愛しい人に届けたのでしょう。

もらった女性はドキドキしてワクワクして逢いに来てくれるのを待っていたことでしょう。

奥様になった方であったかどうかはわかりませんが、この時代は婚姻届がちゃんと制定されておりませんので、想像の人物、ということにしたいと思います。

3 三字決まり なにし/ひとに

「な」から始まるうたで、「なに」までは3首ありますが、「なにし」はこのうただけです。

4 覚え方

なにしに くるよ

このたび/紅葉 菅家

1 通釈

このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに

→今度の旅はあわただしい旅のため、道祖神(どうそじん)におささげする物も用意できませんでした。そこでとりあえずですがこの手向山(たむけやま)の錦織のような紅葉をお供えいたします。どうぞ受け取ってください

2 日本三大怨霊の一人?

作者の菅原道真(すがわらのみちざね 敬意をこめて菅家とよばれる)は845年生まれで903年に58歳で亡くなりました。彼の人生は、一人の左大臣にねたまれたことから一気に転落、果ては日本三大怨霊にまで数えられるほどになってしまいました。

頭も良くて政治家としても有能で、そんな彼を世間が見逃すわけありません。

右大臣にまで上り詰め、宇多天皇と醍醐天皇親子二人に目をかけてもらえるようになりました。

こうなると、左大臣は何をやってるの?状態になってきます。

その左大臣というのが、藤原時平(ふじわらのときひら)だったと言われています。

藤原一族と言えば、政治の裏舞台での活躍は言わずと知れておりますが、(時平の父が関白政治をしてきたり、とにかくすごい)その藤原氏よりも目立ってしまった道真公。

「道真は娘婿を次の天皇にしようと企んでいるらしいですよ」

と、時平は醍醐天皇に嘘をついてしまうんですね。

どんなふうに伝わったのか、醍醐天皇はそれを鵜呑みにして道真公を太宰府に左遷してしまうのです。

失意のうちに道真公は亡くなり、家族も不遇な目にあってしまいます。

その後、宮殿には道真公の怨霊があらわれるといううわさも出始め、雷が落ちてたくさんの人が亡くなったり都中に良くないことが起き始めました。

そんなことから、道真公の魂を鎮めるために天満宮を建立したりと、努力をすることになってしまいます。太宰府天満宮http://dazaifutenmangu.or.jpこちらに詳しく記述されていますので、リンクしておきます。

三大怨霊と書きましたが、ほかの二人は、崇徳院(すとくいん)と平将門(たいらのまさかど)と言われています。彼らのことはまた別の機会に。

さて、うたの内容にもどりますが、このうたは、宇多天皇のお供をするときに詠んだとされています。

このうたが詠まれたころは何事もうまくいっていたころのことでしょう。

地元の天神様にも、こんな出来事があったということを思えば、切なくなってしまいます。

3 二字決まり この/もみじ

「こ」から始まるうたで、「この」はこのうただけです。

このもみじ、で覚えましょう。

月見れば/わが身 大江千里

1 通釈

月見ればちぢに物こそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど

→月を見るといつも、さまざまに物のすべてが悲しくなることだ。秋はわたし一人のところにやってくるわけではないのに。

2 翻訳が歌のはじまり

作者の大江千里(おおえのちさと)は生没年がはっきりわかっていません。

父が在原業平(ありわらのなりひら)、在原行平(ありわらのゆきひら)の甥(おい)にあたります。

漢学者として中国の文学者である白居易(はくきょい)の書いた「白氏文集」を翻訳して、宇多天皇にお仕えしました。

その中で使われたとされるのがこの一文です。

満窓名月満簾霜(満窓の名月満簾の霜)

被冷灯残払臥床(ひややかにして灯残して臥床を払う)

燕子楼中霜月夜(燕子楼中霜月の夜)

秋来只為一人長(秋来たって只一人の為に長し)

→窓のあたりに満ちた名月の光に、御簾に咲く霜の花がきらめいて

 夜具は寒々として灯火も燃え尽きて、月の光は独り寝の床を払うように差し込みます。

 霜の降りるこの夜に燕子楼に独りわびしく起きていると、

 秋が訪れてからというものは、眠れない夜はまるで私一人をさいなむかのようです。

平安時代は中国がお手本になっていましたので、こういった素晴らしい文章を翻訳してわかりやすくするという仕事が重宝されていました。

大江千里もたくさん翻訳をして天皇のお役にたっていたのですね。

3 二字決まり つき/わがみ

「つ」から始まるうたで、「月」はこのうただけです。覚えてしまいましょう!

4 覚え方

わがみひとつのつき

吹くからに/むべ 文屋康秀

1 通釈

吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ

→吹き下ろすとたちまち秋の草木がたわんでうなだれてしまうので、なるほどそれで、山から吹き下ろす風を荒々しい嵐と言うのでしょう

2 小野小町のうわさの男

作者の文屋康秀(ふんやのやすひで)は生没年がわかっていません。

六歌仙、三十六歌仙のの一人で小野小町と縁があったようです。康秀が三河に三等官として赴任したときに、「三河に来ないか?」というような便りを出すと、小町は「お誘いがあればどこへでも行くわ」という内容の歌を返したといいます。

そのくらいの返事ですから、恋人同士だったのかもしれませんね。

このうたは、ぱっと読むと漢字の覚え方?のような印象を受けました。

山の下に風が吹く→嵐 のように。

このような言葉の遊びは平安時代の流行にもなっていたようです。

木ごと(毎)に花→梅 とかね。

なんだか楽しいですよね。なぞなぞみたいです。

3 一字決まり ふ/む

「む」「す」「め」「ふ」「さ」「ほ」「せ」の一字決まりの「ふ」です。

「ふ」とくれば「むべ山」!

4 覚え方

あらし ふくから

今来むと/有明の 素性法師

1 通釈

今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな

→今すぐ行くよ、とあなたが言ったばかりに(それを信じてあなたの訪れを今か今かと待っているうちに)9月の有明の月と逢ってしまうことになるなんて。

2 親子で天皇に仕えた

作者の素性法師(そせいほうし)は12番目の歌、「天つ風~」https://hyakuninnouta.com/2020/09/11/%e5%a4%a9%e3%81%a4%e9%a2%a8-%e3%82%92%e3%81%a8%e3%82%81%e3%81%ae%e3%80%80%e5%83%a7%e6%ad%a3%e9%81%8d%e6%98%ad/

の僧正遍昭(そうじょうへんじょう)の息子で、生没年はわかっていません。

出家前の名前は、良岑玄利(よしみねのはるとし)。三十六歌仙の一人です。

若いころは宮廷に仕えていましたが、父が僧ということで出家して同じ道を歩むことになりました。

この歌は、旦那様を待っている女性の立場で詠まれています。

結婚の約束を取り付けるまで、男性は必死に足しげくまめまめしく女性のもとに通うのですが、いざ、夫婦となると男性は余裕をもってしまうのか、通う回数が週に一度、月に一度、というふうになってしまうらしいのです。

その待つ側の女性の気持ちはどんなものでしょう。

今から行くよ!って言ったのに、なかなかこないわ。何かあったのかしら。でもきっといらっしゃるにきまっているわ。あんなに熱烈にプロポーズしてくれたのだから。

現代なら、スマホでラインで今どこ?とかすぐ確認できちゃいますけどね。

平安時代の女子は待つことができる器が大きかったのかもしれませんね。

3 三字決まり いまこ/ありあけ

「い」から始まるうたで、「今」がつくのは他に63番目のうた「今は~」があります。こちらのうたは月がかたむいているイメージと、女性のうつむいているイメージを持つといいと思います。

4 覚え方

ありあけ いまこ

ありあけのつきはいま(ど)こ?