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11番~15番

君がため/我が 光孝天皇

1 通釈

君がため春の野に出でて若菜摘む 我が衣手に雪は降りつつ

→あなたのために春の野に出て若菜を摘むわたしの袖には 雪が降り続いていることだよ

2 関白制度が作られた

作者の光孝天皇は830年生まれで887年、57歳で亡くなりました。在位はおよそ3年あまりでした。

彼が即位するときに実際の政権をにぎったのは藤原基経(ふじわらのもとつね)でした。基経は光孝天皇が出した政令を発令する、関白という制度の初代というべき人物です。

天皇が幼い、または病弱のため代わりに政治をつかさどるのが摂政にたいして、成人した天皇を補佐するのが関白です。

天皇以外の最高の位が関白で、その歴史は豊臣秀次にまで続きます。

光孝天皇は心穏やかに和歌を詠んでいるようなかただったため、政治にはまるで興味が向かないタイプだったようです。

そのため、藤原一族が政治に対してとても影響を与えるようになってくるのです。

うたにある若菜摘みは宮中の正月の儀式で、最初の子の日に若菜を食べると、災いや、病気からまぬかれるとされていました。

その名残が、七草がゆを食べるということなのです。

古来より人に物をプレゼントするときには、必ずうたを添えること、それが礼儀であったのです。ということで光孝天皇も、大事な人にあげる若菜にうたをそえたのです。

現代でもプレゼントにメッセージをそえるのは普通にやっていることですよね。

どんなかたに贈ったうただったのでしょうね。もらったかたはどんな気持ちになったのでしょう。大事に取っておいて、何度も読み返してはドキドキしていたのではないでしょうか。年の初めからこんなうたをいただいたら、一年良い年になる!と思ったかもしれませんね。

私の住む地域では正月は雪におおわれるので、とても若菜を摘むことはできませんが、新春の行事のことを想像しておかゆを食べてみようかと思います。

3 六字決まり 君がため/わが衣

おなじ「君がため」からはじまるうたがあるため、六字決まりとなっています。

君がため~は

と詠まれたら、この光孝天皇のうたです。

若菜のあわい緑色のイメージで。

4 覚え方

ゆきは きみがため

「わかころもて」はまちがいやすい取り札です。

天智天皇のうたは「つゆ」このうたは「ゆき」

陸奥の/乱れ 河原左大臣

1 通釈

陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにし我ならなくに

→陸奥のしのぶもじずりの(乱れた模様の)ようにわたしのこころは乱れています。それは誰のために? あなた以外の誰にもこころ乱れるわたしではないのですよ

2 10円玉を見てみよう

作者の河原左大臣(かわらのさだいじん)と言われた源融(みなもとのとおる)は822年生まれで895年に74歳で亡くなりました。

父が嵯峨天皇ということで、兄弟姉妹がなんと50人!

それだけ嵯峨天皇が偉大だったということにもなるのですが、これだけお子さんがいれば、食べさせていくのも大変です。

いろいろな政策を打ち出しているのですが、嵯峨天皇は自分の子供たちに臣下に下る政策を出します。つまり、違う苗字を与えて(家族ではなくなって)家来にする、ということです。

その政策で「源」みなもとの姓を与えられた彼は河原左大臣と呼ばれるようになりました。

宇治にある平等院は彼の持ち物です。10円玉の、あの建物です。

私も、京都めぐりで訪れたことがありますが、個人の別荘という見方をしたらすごいですね。土地の広さもさることながら、建物の作りがこまやかで芸術品です。まさにアート!です。

天皇になることが叶わなくても、裕福な生活ができたのですね。

そんな彼がうたった、陸奥の~は、恋のお手本の歌と言われているようです。

こんなに心を乱されて、こんな気持ちになったのは誰のためだろうね?

それは他の誰でもないんだ、君以外のね。

うーん、熱烈です。

3 二字決まり みち/みだれ

みちのくのみだれ、道が乱れる、ジグザグな道。というイメージで。

個人的にはしのぶもじずりの産地であった近くに住んでいるので、大好きなうたです。

4 源氏

源氏の氏族はかなり種類があります。

代表的な方を紹介します。

嵯峨源氏

嵯峨天皇が贈った姓です。ここから始まったとされます。源融はこちら。

清和源氏

清和天皇が贈った姓です。源頼朝(みなもとのよりとも)はこちら。武士として活躍していく氏ですね。

このように、源氏にも天皇の違いでいろいろありまして、21源氏あるそうです。

5 平氏

平氏も天皇が子供に贈った姓です。桓武天皇が息子の葛原親王(くずはらしんのう)の子、つまり孫の高棟王(たかとうおう)に贈ったのが始まりとされています。源氏と平氏、どちらが先に生まれたかと言えば、平氏になります。平氏は4平氏あるそうです。

源氏も平氏ももとをたどれば同じというのが、なんとも言えないところですね。

筑波嶺の/恋ぞ 陽成院

1 通釈

筑波嶺の峰より落つる男女川 恋ぞつもりて淵となりぬる

→筑波山の峰から流れ落ちる男女川と同じように、あなたへの恋心は積もりに積もって深い淵のようになってしまいました。

2 発達障がい?不遇の天皇

作者の陽成院(ようぜいいん)は868年生まれ、949年に81歳で亡くなりました。清和天皇の第一皇子として生まれているのに、天皇としての在位期間はたった8年でした。というのもわずか8歳で天皇に即位し重圧感からか、精神を患ってしまったのです。代わりに政治をつかさどったのは藤原氏、母の兄である関白基経(もとつね)でした。

この時代、藤原氏の権力は絶対的なもので、政治にかかわる役職は藤原氏の息がかかっている者でないとなれない、というとんでもない時代でした。

陽成院も、裏の事情があるのではと想像してしまいます。

何も知らない子どもを天皇に据え置いたら、誰でもおかしくなってしまいますよね。逆に、知識を持った子どもだったから藤原氏が取り上げてしまったのか、とか。

権力とは恐ろしいものです。

筑波嶺とは筑波山のことで、男体山と女体山から成り立っていて、古代はその峰で男女が集まって歌を詠んだり酒を酌み交わしたりする場所だったようです。つまりは、出会いの場ということですね。

男女川(みなしがわ)は水無川とも言い、その名前の由来はよくわかっていません。

水無川とも呼ばれている川は水かさを増して、下流へ行くにしたがって深さも増していきます。

今でも、○○にはまる、という表現がありますが、まさにこのはまり具合が「淵となりぬる」なのです。

気持ちを表現するのに、こんなにストレートなのはすごいですよね。

この歌は、宇多天皇(第59代天皇)の妹にあてられて詠まれたとされています。

3 二字決まり つく/こい

「つ」で始まるうたはこのうたと、23番目の「月見れば~」だけです。

4 覚え方

つくばねの こい

こいぞ つくば

天つ風/をとめの 僧正遍昭

1 通釈 

天つ風雲の通ひ路吹き閉ちよ をとめの姿しばしとどめむ

→空を吹く風よ 雲の切れ目にあるという天と地をむすぶ天女が通る道を吹きとじておくれ 五節の舞姫たちの姿をもうすこしこの場にとどめておきたいのだ

2 人生は仁明天皇とともに

作者の僧正遍昭(そうじょうへんじょう)は出家前の名前を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といいます。816年生まれで890年に74歳で亡くなっています。

桓武天皇の孫になります。桓武天皇は平城京から長岡京、平安京に都を遷都、つまり大規模に都市の引っ越しを実行した天皇なので、時代としては落ち着かない時代だったと思われます。

現代にあてはめると、政治の中心地まるごと地方にお引越しですから、それは大胆でおおがかりな改革だったことでしょう。

そんな時代に生まれた宗貞は仁明天皇(桓武天皇より4代後の天皇)に認められて出世していきます。

認められて仕事にやりがいも出てきたところで、仁明天皇がお亡くなりになってしまいます。

上司が代われば、対応も変わります。宗貞はついに出家して僧正遍昭となるのです。

うたのなかにある、をとめは乙女。五節の舞姫を指しています。天武天皇(桓武天皇より10代前の天皇)が吉野宮で琴を演奏していた時に、天女が舞いおりて天皇の琴にあわせて5回袖をひるがえして舞ったという故事からきています。

五節の舞は毎年11月の丑の日から辰の日にかけて行われる宮中の儀式、新嘗祭(にいなめさい)で奉納される舞のことです。

かわいらしい天女のような少女たちが可憐に舞う姿をほほえましく見ていた遍昭は、いつまでもこの時間が続くことを望んでいたのでしょう。

僧正遍昭は六歌仙、三十六歌仙の一人です。

3 三字決まり 天つ/をとめ

「あ」で始まるうたで、「天」から始まるうたはこのうたと、7番目のうた「天の原~」https://hyakuninnouta.com/2020/08/31/%e5%a4%a9%e3%81%ae%e5%8e%9f-%e4%b8%89%e7%ac%a0%e3%80%80%e5%ae%89%e5%80%8d%e4%bb%b2%e9%ba%bf/だけです。取り札を並べるときに、自分のほうに二枚ともある時はチャンス!近くに並べて二枚とも払って取りましょう。

4 覚え方

あまつ おとめ

わたの原/人には告げよ 参議篁

1 通釈

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣り舟

→広々とした海のたくさんの島々をめざして舟をこぎだして行ったと、人に伝えておくれ、釣り舟の漁師たちよ

2 奇人と言われた男

参議篁(さんぎたかむら)は小野篁(おののたかむら)とも言われています。802年生まれ、852年没。50歳で亡くなっています。

その人生は波乱万丈そのものでした。少年時代から学問に秀で、遣唐使の副使に選ばれましたが、いざ出航というときになって、自分の上司の藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)ともめ事が勃発!

藤原「こちらの船が壊れたから、そちらの船と交換してもらえないかな」

藤原の上司「別にかまわないでしょう」

篁「そんな!あなたは無事に唐にたどり着けるでしょうけど、わたしはどうなるんです?ほかに船は用意してないんですよ!」

と、言ったかどうかは定かではないですが。こんなやり取りがあったようなのです。

納得のいかない篁は、おなかが痛いです。具合が悪いです。こんな体では長旅は無理です。

ということで嘘をつき、乗船を取りやめてしまったのです。

ばれないわけがありません。嵯峨上皇の耳に入ってしまい、怒り爆発。隠岐の島へ島流しの刑に処されてしまいました。

そのときの篁が詠んだうたが、

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣り舟

なのです。

これからの航海に、自分の愛する家族にあてて詠んだものです。

その後、隠岐の島からほどなくして帰京することができたのですが、それも嵯峨上皇の一声だったらしいです。理由は、素晴らしい漢詩文をまた作ってほしい。

とかく、上司には振り回されてしまったようですね。

また、小野小町のおじいさんだった、という逸話もあります。こちらは小野小町その人が伝説をたくさんもった人なので、定かではありません。

3 六字決まり わたの原八十/人には

一番長い決まり文字6字です。

「わ」から始まるうたは6首ありますが、「わたの原」で始まるのは、このうたと76番目の「わたの原漕ぎ出でて見れば~」の二つです。

「わたのはら」までが同じなのでその次に来る文字で決まります。

「わたのはらや」なのか、「わたのはらこ」、札が近い位置にある場合は二枚払ってとる方法がありますが、離れている場合は並べたときに注意して覚えておく必要があります。

4 覚え方

つりぶね わたのや