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このたび/紅葉 菅家

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1 通釈

このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに

→今度の旅はあわただしい旅のため、道祖神(どうそじん)におささげする物も用意できませんでした。そこでとりあえずですがこの手向山(たむけやま)の錦織のような紅葉をお供えいたします。どうぞ受け取ってください

2 日本三大怨霊の一人?

作者の菅原道真(すがわらのみちざね 敬意をこめて菅家とよばれる)は845年生まれで903年に58歳で亡くなりました。彼の人生は、一人の左大臣にねたまれたことから一気に転落、果ては日本三大怨霊にまで数えられるほどになってしまいました。

頭も良くて政治家としても有能で、そんな彼を世間が見逃すわけありません。

右大臣にまで上り詰め、宇多天皇と醍醐天皇親子二人に目をかけてもらえるようになりました。

こうなると、左大臣は何をやってるの?状態になってきます。

その左大臣というのが、藤原時平(ふじわらのときひら)だったと言われています。

藤原一族と言えば、政治の裏舞台での活躍は言わずと知れておりますが、(時平の父が関白政治をしてきたり、とにかくすごい)その藤原氏よりも目立ってしまった道真公。

「道真は娘婿を次の天皇にしようと企んでいるらしいですよ」

と、時平は醍醐天皇に嘘をついてしまうんですね。

どんなふうに伝わったのか、醍醐天皇はそれを鵜呑みにして道真公を太宰府に左遷してしまうのです。

失意のうちに道真公は亡くなり、家族も不遇な目にあってしまいます。

その後、宮殿には道真公の怨霊があらわれるといううわさも出始め、雷が落ちてたくさんの人が亡くなったり都中に良くないことが起き始めました。

そんなことから、道真公の魂を鎮めるために天満宮を建立したりと、努力をすることになってしまいます。太宰府天満宮http://dazaifutenmangu.or.jpこちらに詳しく記述されていますので、リンクしておきます。

三大怨霊と書きましたが、ほかの二人は、崇徳院(すとくいん)と平将門(たいらのまさかど)と言われています。彼らのことはまた別の機会に。

さて、うたの内容にもどりますが、このうたは、宇多天皇のお供をするときに詠んだとされています。

このうたが詠まれたころは何事もうまくいっていたころのことでしょう。

地元の天神様にも、こんな出来事があったということを思えば、切なくなってしまいます。

3 二字決まり この/もみじ

「こ」から始まるうたで、「この」はこのうただけです。

このもみじ、で覚えましょう。

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