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難波潟/逢はで 伊勢

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1 通釈

難波潟短き葦の節の間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや

→難波潟。そこに生えている葦(あし)の節と節の短い間のようなわずかな時間でも、あなたに逢わずにこの世を過ごしてしまえというのですか。

2 恋は人生を変える

作者の伊勢(いせ)は、生没年がはっきりわかっていません。父である藤原継影(ふじわらのつぐかげ)が伊勢守(いせのかみ)であったので、その娘で伊勢と呼ばれていたそうです。

平安時代の美人の一人に数えられるほど、伊勢はすてきな女性だったようです。

当時の美人の条件は、「うる艶長髪ひき目かぎ鼻ぽっちゃりさん」

長いつやのある髪と、一重の目。つんとした鼻と、ほっぺがぷっくりしたおちょぼ口。

今の美人さんの条件とはかけ離れています。

もちろん、性格が良いということも大事な条件で、おしとやかで出しゃばらないこと、教養にあふれてそれを持ち出さないこと。

こんな条件、無理がありますよね。

誰しもそんな条件に近づきたいに決まっています。

ラッキーなことに、当時は女性が顔を見せることはほぼありませんでした。

御簾(みす)というすだれのようなものでしきりがあったからです。

男性は求婚して初めて女性の顔を見ることができた、なんていうのが普通でした。

伊勢は宇多天皇の中宮(天皇にお仕えする、皇后、の次に位が高い身分の女官)の温子(おんし・藤原温子)に仕えていて、温子の兄と恋愛していたのですが、宇多天皇も伊勢を大事に思うようになり、温子の兄は身をひいて天皇と結婚、皇子を生みます。

その後、その皇子の異母兄弟である敦慶(あつよし)親王とも結婚、子供が生まれます。

平安時代は法律などありませんでしたので、親子でこんなことになるのも普通でした。

どうしても今のものさしで判断してしまいますが、それだけ伊勢が魅力的だったということなのでしょう。

この経緯が、源氏物語の紫の上と光源氏のお話のベースになっていると言われています。

このうたでも伊勢は恋する気持ちを情熱的に詠んでいます。

誰にあてて詠んだものかは、わかっていません。

3 四字決まり なにはが/あは

「な」で始まるうたで「なには」まで一緒のうたが88番目の「なにはえ」の、「難波江の芦/みをつくしてや」のうたになります。

難波の二枚と覚えましょう。

4 覚え方

なにはが あわてる

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