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2020年 9月 の投稿一覧

難波潟/逢はで 伊勢

1 通釈

難波潟短き葦の節の間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや

→難波潟。そこに生えている葦(あし)の節と節の短い間のようなわずかな時間でも、あなたに逢わずにこの世を過ごしてしまえというのですか。

2 恋は人生を変える

作者の伊勢(いせ)は、生没年がはっきりわかっていません。父である藤原継影(ふじわらのつぐかげ)が伊勢守(いせのかみ)であったので、その娘で伊勢と呼ばれていたそうです。

平安時代の美人の一人に数えられるほど、伊勢はすてきな女性だったようです。

当時の美人の条件は、「うる艶長髪ひき目かぎ鼻ぽっちゃりさん」

長いつやのある髪と、一重の目。つんとした鼻と、ほっぺがぷっくりしたおちょぼ口。

今の美人さんの条件とはかけ離れています。

もちろん、性格が良いということも大事な条件で、おしとやかで出しゃばらないこと、教養にあふれてそれを持ち出さないこと。

こんな条件、無理がありますよね。

誰しもそんな条件に近づきたいに決まっています。

ラッキーなことに、当時は女性が顔を見せることはほぼありませんでした。

御簾(みす)というすだれのようなものでしきりがあったからです。

男性は求婚して初めて女性の顔を見ることができた、なんていうのが普通でした。

伊勢は宇多天皇の中宮(天皇にお仕えする、皇后、の次に位が高い身分の女官)の温子(おんし・藤原温子)に仕えていて、温子の兄と恋愛していたのですが、宇多天皇も伊勢を大事に思うようになり、温子の兄は身をひいて天皇と結婚、皇子を生みます。

その後、その皇子の異母兄弟である敦慶(あつよし)親王とも結婚、子供が生まれます。

平安時代は法律などありませんでしたので、親子でこんなことになるのも普通でした。

どうしても今のものさしで判断してしまいますが、それだけ伊勢が魅力的だったということなのでしょう。

この経緯が、源氏物語の紫の上と光源氏のお話のベースになっていると言われています。

このうたでも伊勢は恋する気持ちを情熱的に詠んでいます。

誰にあてて詠んだものかは、わかっていません。

3 四字決まり なにはが/あは

「な」で始まるうたで「なには」まで一緒のうたが88番目の「なにはえ」の、「難波江の芦/みをつくしてや」のうたになります。

難波の二枚と覚えましょう。

4 覚え方

なにはが あわてる

住の江の/夢 藤原敏行朝臣

1 通釈

住の江の岸に寄る波よるさえや 夢の通ひ路人目よくらむ

→住の江の岸に打ち寄せる波の、その「よる」という言葉ではないが、(昼間だけでなく)夜までも夢の中の道でさえも人目を避けているのかしら。

2 達筆は空海と並ぶ

作者の藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)は生没年がはっきりわかっていません。三十六歌仙の一人であり、書道にも優れた人でした。

京都にある神護寺(じんごじ)の鐘銘(しょうめい)は彼の書いたものとして今も保管されています。画像で見ることができますので、こちらへリンクしておきます。京都大学・京都大学貴重資料デジタルアーカイブ・https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013926

古来から「夢」を見ることはとても神秘的なものでした。

一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)という言葉があるように、夢で見たものに対して未来を占う「夢合わせ」というものがありました。

また、眠っているあいだに体から魂が抜けだして不思議な体験をするのが、夢を見ることであるという信仰もありました。

現代でも眠りに対する研究は未知の部分が多いのです。

そういう未知の部分に、恋愛などのこころの動きが連動しているのでは?と考えても不思議ではありませんよね。

このうたにある、夢の通い路もその不思議のひとつです。

夢の中では会いたい人への道が開かれると考えられていたようです。

それほどまでに恋こがれる相手が、思いを告げてはいけない相手だとしたら、それはつらいでしょうね。じりじりする思いで姿ばかり目は追いかけてしまうという、、、

逆に思われている相手側の気持ちはどうなんでしょう。大嫌いだったら態度で示すことができるでしょうけれど。少なからず気持ちがあるならば、相手に希望を持たせてしまいますよね。

このころの結婚のかたちは、男性が女性に求婚を申し入れるまで、女性は強気。

求婚をうけて一度でも一緒に一夜を過ごしてしまえば、結婚は成立。そうなると奥さんは旦那さんがやってくるのをただただ待たなければならなくなって、旦那さんはいくらでも待たせることができてしまいます。

法律でしばられることがないのだから、気持ちが冷めてしまえば結婚も解消になってしまいます。

そんな事情から、男性も女性も結婚に対する思いは強かったのだと想像できます。

藤原敏行朝臣は、このうたで女性の気持ちでうたを詠んだとされています。

女性ではないのだから、男性の、こんな女性がいたら、、、という気持ちがあるのではないかと思います。

女性側の待つ身で書かれているのだと思います。

現代の女性なら、そんなの待っていられない!と、行動に移しているでしょうから。

3 一字決まり 住の江/夢

このうたは「む」「す」「め」「ふ」「さ」「ほ」「せ」から始まる一字決まりのうたです。

それぞれ一首ずつしかありません。

百人一首のかるたでは、まずこの一字決まりのうたを覚えていくのが近道です。

全くの初心者でも、まずは7枚取れることになります。

まずは7枚に挑戦!です。

4 覚え方

ゆめみる すみちゃん

すみの ゆめ

ちはやぶる/唐紅 在原業平朝臣

1 通釈

ちはやぶる神代も聞かず龍田川 唐紅に水くくるとは

→神代(かみよ)には不思議なことがいろいろあったそうだが、その神代でさえ聞いたことがない、龍田川が鮮やかな紅色に絞り染めになるとは。

2 モテモテの在原兄弟 弟

奈良県の龍田大社https://tatsutataisha.jpのそばを流れている川が紅葉の葉で紅に染まる光景。どんなに美しいものか、言葉で表現したら、、、

作者の在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)は825年生まれで880年に55歳で亡くなりました。今で言うイケメンだった彼は「伊勢物語」の主人公ではないかと言われています。

「伊勢物語」は在原業平の和歌を引用して書かれた、一人の男の生涯の物語です。

恋愛の短編集のような感じで展開されていくのですが、いろいろな女性との恋を和歌をからめながら描いているのです。

業平がどれだけイケメンだったのか、物語が語っています。

業平には7歳上のお兄さんがいます。前回の歌、たち別れ~の作者の行平です。

真面目で仕事熱心な兄と、自由で情熱的な弟。物語の登場人物としては最高な二人です。

この歌は末次由紀さんの漫画「ちはやふる」https://be-love.jp/c/chihaya/でシンボル的に出てきます。この歌をきっかけに百人一首や競技かるたに興味を持った人は多いでしょう。

唐紅という色は紅色よりもなお濃い紅と言われています。

紅花で染めた色よりも濃いのですから、真っ赤!という色です。

紅花は、古来より染料として使われてきました。口紅の材料にもなっています。

一大産地である山形県では県の花として制定されています。

オレンジ色の可憐な花には鋭いトゲがついていて、栽培農家さんは手袋が必須アイテムです。

バラとはイメージが違いますが、ツンデレなところは共通ですね。

業平が紅花をイメージしてうたったかはわからないところですが、紅葉のはらはらと降り落ちるところを、川の流れに流されていくところを、自分の心の情景として表現したのかもしれません。

百人一首では秋のうたに分類されていますが、実は恋のうたの要素があると思っています。

在原業平は六歌仙のひとりにもなっています。

3 二字決まり ちは/唐紅

「ち」で始まる百人一首はこのうたと、契りおきし~の75番目の藤原基俊(ふじわらのもととし)のうただけなので、二文字で判断できます。

もう、ちはやぶる=唐紅という公式で覚えちゃいましょう。

たち別れ/まつとし 中納言行平

1 通釈

たち別れいなばの山の峰に生ふる まつとしきかば今帰り来む

→今あなたと別れて因幡の国に行ったとしても、稲葉山にはえる松ではないが、あなたが待っていると聞いたならすぐにでも帰ってくるからね

2 在原兄弟 兄

作者の中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)は在原行平(ありわらのゆきひら)といい、818年生まれで893年に75歳で亡くなりました。

父が平城天皇(へいぜいてんのう)の息子で母が桓武天皇の娘、弟に在原業平(ありわらのなりひら)を持つ、天皇の親族です。

在原の姓をもらってからは天皇の臣下に下って、仕事熱心に持ち前のがんばりを発揮して中納言に上りました。

中納言という役職は大納言とほぼ同一と言われているので、現代でいうと、大臣クラスということになります。

そんな行平ですが、38歳の時に因幡に赴任することになります。

因幡は島根県の東部にあたります。

都からはだいぶ距離があります。車などない時代ですから、そうとう覚悟がいったでしょうね。

愛する家族を残してひとり旅立って行く、その場面でこのうたは詠まれました。

あなたを残して遠い因幡の国へ行かなくてはならない。必ず戻ってくるから。わたしを待っていてほしい。心の中では戻ってこれないかもしれない、不安でいっぱいだったことでしょう。

百人一首では、このうただけ離別、別れのうたに分類されています。

3 二字決まり たち/まつ

松の木がたくさん生えているイメージで。

4 覚え方

まつとしき たち

→マットしき たち

君がため/我が 光孝天皇

1 通釈

君がため春の野に出でて若菜摘む 我が衣手に雪は降りつつ

→あなたのために春の野に出て若菜を摘むわたしの袖には 雪が降り続いていることだよ

2 関白制度が作られた

作者の光孝天皇は830年生まれで887年、57歳で亡くなりました。在位はおよそ3年あまりでした。

彼が即位するときに実際の政権をにぎったのは藤原基経(ふじわらのもとつね)でした。基経は光孝天皇が出した政令を発令する、関白という制度の初代というべき人物です。

天皇が幼い、または病弱のため代わりに政治をつかさどるのが摂政にたいして、成人した天皇を補佐するのが関白です。

天皇以外の最高の位が関白で、その歴史は豊臣秀次にまで続きます。

光孝天皇は心穏やかに和歌を詠んでいるようなかただったため、政治にはまるで興味が向かないタイプだったようです。

そのため、藤原一族が政治に対してとても影響を与えるようになってくるのです。

うたにある若菜摘みは宮中の正月の儀式で、最初の子の日に若菜を食べると、災いや、病気からまぬかれるとされていました。

その名残が、七草がゆを食べるということなのです。

古来より人に物をプレゼントするときには、必ずうたを添えること、それが礼儀であったのです。ということで光孝天皇も、大事な人にあげる若菜にうたをそえたのです。

現代でもプレゼントにメッセージをそえるのは普通にやっていることですよね。

どんなかたに贈ったうただったのでしょうね。もらったかたはどんな気持ちになったのでしょう。大事に取っておいて、何度も読み返してはドキドキしていたのではないでしょうか。年の初めからこんなうたをいただいたら、一年良い年になる!と思ったかもしれませんね。

私の住む地域では正月は雪におおわれるので、とても若菜を摘むことはできませんが、新春の行事のことを想像しておかゆを食べてみようかと思います。

3 六字決まり 君がため/わが衣

おなじ「君がため」からはじまるうたがあるため、六字決まりとなっています。

君がため~は

と詠まれたら、この光孝天皇のうたです。

若菜のあわい緑色のイメージで。

4 覚え方

ゆきは きみがため

「わかころもて」はまちがいやすい取り札です。

天智天皇のうたは「つゆ」このうたは「ゆき」