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百人一首のなりたちとは

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1 誰が作ったのか

藤原定家(ふじわらのさだいえ) 1162年生まれ。1241年(79歳)没。 が、74歳の時、宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)に依頼されて選定作業に入りました。

定家と頼綱は同じ一族であり、頼綱の別荘のふすまに貼る色紙を作るように依頼されたわけです。

色紙とは有名人のサインなどを記す、あの紙のことです。

定家は、それまでに天皇の命をうけて和歌集を作っていたので、頼綱もたのもしく思っていたにちがいありません。

頼綱は10歳年下でしたが、宇都宮歌壇といわれる和歌を詠む会の代表でした。

そういった環境のなかで、定家は『百人秀歌』をベースにしておよそ百首選んでいきました。

2 百人秀歌(ひゃくにんしゅうか)とは

藤原定家が選定した101人101首の和歌集。『二四代集(にしだいしゅう)』からひとり一首を選んだものです。

この百人秀歌が百人一首と重複する歌が多いことから、百人一首のベースとなったのではと言われています。

百人一首との違いとは

作られた時代背景がかなり影響していると思われる、百人一首には外された3首をあげておきます。

一条皇后の歌

  よもすがら 契りしことを忘れずは こひん涙の色ぞゆかしき

権中納言国信の歌

  春日野の 下萌えわたる草の上に つれなく見ゆる春の淡雪

権中納言長方の歌

  紀の国の 由良の岬に拾ふてふ たまさかにだに逢ひ見てしがな

自分のお仕えする上司が代われば、それにともなって歌の選定も変わる。

今も昔も心遣いは日本人ならではな感じですね。

まとめ

以上の過程を経て、百人一首は選定されました。選ばれた歌は、古いものから新しいものまでおよそ600年の時間差があります。

こういったことから、定家ひとりが選定したわけではないことが想像できます。

おそらく、定家の意思を受け継いだ人たちがながい時間をかけて選んで作っていったのだと思います。

参考文献・資料 三省堂 新明解古典シリーズ 百人一首

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