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白露に/玉ぞ 文屋朝康

1 通釈

白露に風の吹きしく秋の野は 貫き止めぬ玉ぞ散りける

→草木の葉に置いた白露に風がしきりに吹き付ける秋の野は、まるで糸を通して止めていない真珠が散っているかのようですね

2 生没不明の謎の歌人

作者の文屋朝康(ふんやのあさやす)は生没不明の謎多き有名歌人と言われています。

六歌仙の一人である文屋康秀(ふんやのやすひで)の子どもと言われていますが、確かなものではありません。

彼も、身分が低かったことで、記録が残っていないのでしょう。

このうたは、後撰集の枕詞(まくらことば・うたの初めに添えられた説明文)によると、醍醐天皇の時代に応召歌(おうしょうか・実際にその地で詠んだものではなく、イメージで詠んだうた)とされています。

そして宇多天皇の時代にも同じうたを奉納しているという記録があるので、よほどの傑作だったということなのでしょう。

私のイメージでは、それを超える傑作に巡り合えなかった、知恵をしぼって同じうたを贈ってしまった、という感じです。

パールのネックレスを作っているときに、うっかり床に落としてしまって、パールがころころと転がってしまった、そんなイメージでとらえました。

3 二字決まり 白露/つら

「し」から始まるうたで、白露はこのうただけです。二字決まりになります。

4 覚え方

つらら しらつゆ

夏の夜は/雲の 清原深養父

1 通釈

夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに着き宿るらむ

→夏の夜はまだ宵のうちと思っているうちに明けてしまったけれど、雲のいったいどのあたりに月は宿っているのでしょう。

2 清少納言のひいおじいさん

作者の清原深養父(きよはらのふかやぶ)は生没年がはっきりわかっていません。900年頃に活躍した歌人とされています。そして清少納言(せいしょうなごん)のひいおじいさんにあたります。

このうたに出てくる「月」は今どこにあるのでしょう?

おそらく、ですが、深養父は月の姿を愛でているうちに楽しい時間はあっという間、月が沈んでしまう明け方になってしまった、ということなのでしょう。

一緒にいたのはやはり女性なのでしょう。

会話が弾んで、お酒がすすんで、あれ?月はどこへ行ってしまった?

恋のうたには分類されていませんが、そんなにおいが感じられます。

3 二字決まり 夏の/雲

「な」から始まるうたで、「夏」はこのうただけです。よって二字決まりのうたになります。

4 覚え方

くもの なつのよ

雲の夏の夜

夏の夜は雲の月

人はいさ/香ににほひける 紀貫之

1 通釈

人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける

→(人の心は変わりやすいものです。)ここに住んでいるかたの心はどうだろう。それはわからないが、梅の花は昔から変わらない香りで咲き誇っていることだなあ

2 官位には恵まれなかった優れた歌人

作者の紀貫之(きのつらゆき)は868年頃生まれたとされています。というのも、さだかではありません。(身分が低かったという理由で、記録があいまいなのです。)

漢学と和歌に優れた人で、905年に御書所預(ごしょどころあずかり)現在の宮内庁書陵部にあたる役職につきました。

その後、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)壬生忠岑(みぶのただみね)紀友則(きのとものり)と共に古今集(初めての勅撰和歌集)の編集に活躍しました。

古今集に添えられた序文『仮名序』は、かなで書かれた初めての和歌を論じたもので、後世になって高く評価されています。

930年に土佐守(とさのかみ)となり、私撰集の『新撰和歌集』を選びました。

934年に土佐守の任を終えて帰京の際に書かれたものが、『土佐日記』です。

三十六歌仙の一人です。

この歌は、小野小町の歌の「いろ見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける」をふまえて詠まれたものという見方があります。

小野小町は女ごころのうつろいをつぶやいていますが、紀貫之はそれをうまく踏まえた上で、大人の男女のふわっとした恋愛を詠んでいます。

ずいぶん時間は経ってしまったが、あの人は私のことを思っていてくれるだろうか。あの時と同じ梅の花が同じ香りで咲き誇っているのが、そんな昔の恋愛を思い出させるのだなあ。

3 三字決まり ひとは/花ぞ

「ひ」から始まるうたで、「人」がつくうたは他に、99番の「人も~」があります。それでこのうたは三字決まりになります。

4 覚え方

ひとはかにに

人はカニに?

人は (梅の) 香に

誰をかも/松も 藤原興風

1 通釈

誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに

→誰を友にしたらよいのでしょう。高砂の松でさえ昔からの友人ということではないのです。

2 琴の使い手だった

作者の藤原興風(ふじわらのおきかぜ)は生没年がはっきりわかっていません。

9世紀末~10世紀に活躍した三十六歌仙の一人です。

紀貫之(きのつらゆき)と並ぶ『古今集』の歌人です。

興風は管弦、とくに琴の名手であったそうで、私のイメージとしてはシンガーソングライター。歌も歌えば、音楽も作る、感受性の優れた人だったんですね。

このうたは、年をとっていく孤独感の強調された歌だといわれています。

松と言えば、高砂の松のことを思い出します。みなさんも見たことがあるかもしれません。長寿と夫婦愛を表現した絵で、老夫婦が仲良さそうに並んでいる、その後ろに松が生えている、あの絵です。

これをイメージした後にこのうたを詠んでみると、なんとも一人で生きながらえている自分のみじめさや、寂しさがじわじわ来ます。

きっと、定家もこの気持ちに共感していたのではないでしょうか。

3 二字決まり

「た」から始まるうたで、「誰」はこのうただけです。

4 覚え方

まつもとは だれ?

ひさかたの/しづ 紀友則

1 通釈

ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ

→日の光がのどかな春の日に、どうして落ち着きがなく桜の花はあわただしく散っているのでしょう。

2 紀貫之(きのつらゆき)のいとこ

作者の紀友則(きのとものり)は紀貫之のいとことして知られています。といっても、まずは紀貫之がどんな人物かということですが、最初の勅撰集(天皇の命でつくられる和歌集)の古今和歌集の編さんに関わった、和歌の名手だったということ、三十六歌仙の一人であったということから、とにかく和歌といえば紀貫之というくらいすごい人、ということでしょう。

そのすごい人のいとこ。

お互いにどう思っていたかはわかりませんが、私だったら、すごい人にはまかれろ、という感じになるでしょうね。

さて、古今和歌集が出てきましたが、この編さんに友則も関わっておりました。

完成を待たずに友則は亡くなってしまいましたが、貫之とは違った優美で格調高いうたを詠んだそうです。

この、ひさかたの~は、その優美な感じを定家がひっぱり出したうたといえます。

3 二字決まり

「ひ」から始まるうたで、「ひさ」はこのうただけです。

4 覚え方

しづこ ひさかたぶり